ハローベイビー
優しさって
無限に続く愚かなほどの優しさって
いつかは愛にたどり着くかな(THE LAST SONG/NOJIMA Shinji)
〜EGOISTICS〜
−1−
わたしの病室でのことは、最早夫婦喧嘩で済むようなことではなかった。駆けつけた医師や看護婦に取り押さえられたとうさんは直ぐに冷静さを取り戻したが、かといって惨状が薄まることもなく、手術室に運ばれた昭子さんから流れた血や体液の残滓だけが異常に生々しかった。警察沙汰云々の話が出て、今度は逆に恐ろしくなったのかわたしの首を医師に示してみせる。そこには、僅かに鬱血した十指の跡が見えたのだろう。今まで、精神異常者以外の何者でもないという目でとうさんを眺めていた医師も、わたしに残された兆候に深く興味を惹き付けられたようだった。
「あいつが、いきなり娘の首を締めたんですよ。だから、私も無我夢中で――そりゃ、やり過ぎたとは思ってます。けど、娘が殺されかかっていると思うと気が気でなくて――分かって頂けますよね」
医師は「分かった、分かりました」と冷静に父を宥め、そして私に確認してきた。
「貴女は、本当にあの人に――母親に首を締められたのですか?」
わたしは少し迷った後、小さく肯いた。本当は、夫婦間の言い争いの帰結として起こったことに過ぎないのだが、とうさんの強く促すような目と警察沙汰になるという恐怖に負けて、そういうことにしておいた。それが、一番安全だと思ったし、とうさんの意向に逆らうなんて怖くてできなかった。昭子さんを両の拳で叩き潰すとうさんの目は、余りに殺意的過ぎたからだ。
結局、このことは正当防衛の類で済み、とうさんが罰せられることはなかった。昭子さんの方も、息子を失った錯乱状態だったという点が考慮され、厳重注意で済んだ。しかし、既に穿たれた肉体の傷は如何ともし難く、昭子さんは一ヶ月の入院を余儀なくされた。鼻骨と頬骨と顎骨が折れ、一部は砕ける程の重症。勿論、わたしはお見舞いになどいけなかったし、もし行ったとしても昭子さんはまともに相手してくれなかっただろう。
そして、結局私は葬式に参加することができなかった。体に異常がないか、更なる検査を受ける必要があったし、それに改めて知ったからだ。わたしは、どのように繕ったとしてもただ憎しみを煽るだけの存在なんだって。だから、体の調子は悪くなかったけど、その振りをしてベッドに蹲っていた。きっと、わたしは途轍もなく卑怯なのだろう。けど、どうして今の私に奇異と憎悪の視線が集中することを耐えられようか。それに、儀式も憐れみも必要なかった。死を悼むことはどこでも出来るはずだ。例え、偉い僧侶がいなくても――想うということだけにおいてはどんな人間も平等であるはずだから。
私は目を瞑る。気だるく、無性に眠い。多分、頭の中でこれまでにないほど色々なことを考え続けているせいだ。思考は脳から糖分を奪う一番の方法だと、理科の時間に聞いたことがある。ただ、お腹は減らない。胃が、何も受け付けてくれない。それどころか、少し気を抜くと嘔吐感が全身に満ちてくる。胃の中には胃液しかない筈なのに。
心も体も限界に近かった。今は、錆びながらも動き続ける鈍色の車輪のように加速をつけなければならないなりに、動くものは動く。でも、それは明らかに過剰活動だ。いつか、きっと何かが壊れてしまう。或いは、もう壊れてしまった後で、わたしだけがそれに気付いていないのかもしれない。
でも、それもどうでも良いことなのかもしれない。だって、壊れてしまった以上のものをわたしは無残に壊してしまったのだから。家族の絆、夫婦の絆、そして多分――思慕の絆。思い慕うものの直接的な崩壊。たった一つの過ちでこんなにも沢山の、大切なものが――。
わたしは、不意ににいさんのことを思い出した。
わたしを庇ってくれた、あの愛情に満ちた瞳を。
わたしの一番欲しかった、あの瞳。
でも、輝きは二度と戻らない。
好きだった。
誰が文句を言おうと眉を潜めようと――。
わたしはにいさんのことを誰よりも好きだった。
愛して――いた。
これはきっとエゴだ。自分の都合だけで、愛されていたと断じるなど。死んでしまった、死んでしまったのに。それでも、死者の愛がわたしに向いていたことを思うと切なくなるのはどうしてだろう。もう二度と会うことのできない愛しい人。そこに愛を傾けるということは、これから迫る一切の愛を拒絶するということだ。
でも、それが一番良いのかもしれない。こんなにも、死を賭してまで自らを救ってくれたにいさんのことを忘れるくらいなら、もう恋なんて――。
恋なんて、しないから――。
−2−
退院して、ようやく二ヶ月が経つ。しかしその間に、わたしの環境は激変してしまったらしい。昭子さんは退院するや否や、荷物を整理することもなく家から飛び出した。そしてその一週間後、郵送で離婚届が送られてきた。勿論、片側は既に記述が済んでおり、とうさんがもう片方を記述して役所に提出すれば、正式な離婚が成立してしまう。とうさんは何も躊躇うことなくサインし、手続きを済ませた。それが間違いなくわたしに端を発していると思うと、正直言って辛い。とうさんはいつも通りに優しいのだけれど、二つも席の空いたダイニングは、やはり少し物悲しく見えるものだ。
ただ、嬉しいことも一つだけあった。大学の為、家に戻って来ないねえさんが頻繁に家に通ってくれるようになったのだ。元々、ここからでも通おうと思えば通えたのだが、ねえさんがどうしても一人暮らしが良いと主張するものだから、別にマンションを借りて生活している。けど、あんなことがあった後だからだろう、その気遣いと優しさがわたしには当時、とても嬉しかった。
その日も、私は姉さんと楽しく語らい、ともすれば沈みがちな心も満ち足りたまま、素直に床へと就くことができた。その所為だろうか、夜中に妙な物音がして、わたしはふと目を覚ました。完全には閉まっていなかったのだろう、微かに開いたドアから空耳と思えるくらいの小さな、ねえさんの声が聞こえてきた。ここからではよく分からないが、ねえさんは酷く苦しんでいるようだった。もしかして、体調でも悪いのだろうかとわたしはねえさんが泊まっている部屋へと足を運んだ。
しかし、何故か睡眠中である筈のねえさんの姿は何処にもない。訝しんで辺りを探っていると、ねえさんのやっぱり苦しげな声が、今度はもっと近い場所から聞こえてきた。廊下に出ると、その発信源がとうさんの部屋だということが分かる。わたしはそっととうさんの部屋の前に立ち、そっと耳を欹てた。何故、この時に限って様子を伺うような慎重さを伴っていたか、それはわたしにも分からない。でも、もしかしたらわたしは悟っていたのかもしれない。
中で、一体、何が行われているのか――。
ねえさんが苦しげな声をあげている。
ねえさんは苦しんでいる。
でも、でも――。
その奥底に内在する感情は決して苦しみではなくて――。
余りにおぞましい光景を想像できる、物音や声すら厭わしく、わたしは足音を立てないように、しかし思う限り全力で部屋に戻り、ドアを閉め、鍵をかけた。
そして、布団で耳を覆いながら何度も何度も呟いた。これは夢だこれは夢だ、こんなおぞましいものが現実である筈がない。わたしは腕を抓ってみた。全然痛くなかった。
だから、これは夢なのだ――。
次の日、台所で料理を作るねえさんと、新聞を読みながらその匂いを満喫しているとうさんの、親娘として屈託のない姿を見ていると、やはりわたしが聞いたのは夢の中の光景なのだろう。わたしはそう結論付けた。
しかし、だとしたら何故、あんな夢を見たのだろうか?
いや、そんなのは決まりきっている。わたしの中に根ざす、背徳感と近親願望を他者に擦り付けたくて、あんな夢を見たのだ。そう思うと、自分が他人とは違う、何か汚らわしいもののように感じられて仕方がなかった。
自分はまだ、幸せを壊し足りないのだろうか?
周りの人間が皆、不幸になることをわたしは望んでいるのだろうか?
忌わしい思考が浮かんでは消え、消えては浮かび、わたしはとても家族の団欒に飛び込むことができなかった。優しい言葉を一つでもかけられたら、きっと堪えることができず、涙を流し続けていただろうから。わたしは、遅刻寸前の時間になって一度だけ、ねえさんととうさんに朝の挨拶をして飛び出していった。お腹が空いているのに、全力で走らなければならないなど苦行に等しいだろう。けど、空っぽの心に満ちていく刺だらけの想いを鑑みると、この程度の苦しみなどものの数にも入らないと思えるのだ。
体が傷つくことには対して興味がなかった。
心が傷つくのが怖かった。
心を傷つけるのが怖かった。
もうこれ以上、誰かに嫌われるのが嫌だった。
そして何より――。
わたしはわたしが一番嫌いだった。
いつだって、何かを与えることもなくただ奪うだけの人間。
それが、今のわたしだった。
−3−
学校は、とても退屈だった。色々と気遣って優しくしてくれる人は増えたけど、わたしには余り嬉しくなかった。彼らと会話するたび、顔を付き合わせるたび、にいさんのことを聞かれるたび、辛くなる。彼らに打ち明けたら、どのようなことになるだろう。にいさんはわたしを庇って死んだなんて、聞かされたらどんな顔をするだろう。きっと、昭子さんのように怒り出すのだ。何故殺した、何故お前が死ななかったのと、合唱されるに違いない。
わたしは全てにおいて劣っている。本当はわたしの方こそ死ぬべきなのに、こうして日常に埋没し悲しみを薄れさせ、そして平板に引き伸ばされていく。やがて、冷たい思い出は消えていくのだ――太陽に照らされて徐々に融けていく雪のように。でも、本当にそうなのだろうか。人の心に積もる冷たい思い出は本当に雪みたいに、必ず融けてしまうのだろうか?
中には雪にも似た白い砂が混じっていて、それはどのように眩しい太陽の日差しも決して融かしてはくれないのではないだろうか? そして、わたしの中に積もったそれは雪ではなく白砂のような――そんな気がする。それは融けない。だから消えない――そう、消えない方が良いのだ。どんなに楽しくても、嬉しくても――それは消えないで何時までも残っていて欲しい、例え、後になってそれがどんな副作用や痛みを伴おうと。
でも、人間はなんて不便なんだろうか。痛みがなければ、人のことを明確に記憶し続けることすらできないなんて。何かの証がなければ、覚えておくことすらできないなんて。
じゃあ、例えば――。もし、覚えておくのがやっと――なんて意識の薄い人間がいたとしたら、その人間を覚えておく為の痛みや苦しみは一体、どれくらいのものになるのだろうか? 想像もできないし、想像したくなかった。
窓辺に寄り、一人頬杖をついて思索に耽っていると、向こうから手を振る友人が見える。こんなことになる前は、わたしが彼女達のまとめ役であったし、どうやらわたしはそういう役割から抜けられないらしい。わたしは無理に笑顔を作り、そして駆け寄る。日常はわたしの望みと異なり、雪を少しずつ融かそうとしていた。痛みや苦しみを和らげていてくれる。そしてわたしはまた、それに強く惹かれもするのだ。
わたしは思う。本当に大切なものが失われた時、人はそれを留めるべきなのだろうか? それとも永劫、それを留めておいた方が良いのだろうか。
大切な人の痛みを避けたいが為に、それを自らから利己的に奪い去っても良いのだろうか。きっと、その頃のわたしはそのようなことばかり考えていたのだと思う。恐らく、その日も。
この日の夕方、わたしはねえさんと余り穏当ではない喧嘩をした。もっとも、それはねえさんがわたしを一方的に責め続けるだけのものだったけど、当時のわたしには何故なのか理解できなかった。ただ、それはわたしが人の知らぬところでまたしても、一つの人格を徹底的に破壊していたことを示していた。どこまで言ってもわたしは、奪うだけの人間だったのだ。
そしてにいさんの死から三年後、わたしは全ての真実を知ることになった。わたしを中心に渦を撒いていた、あのおぞましい真実を――。