第三話 選択、決意、或いは旅立ち(中編)
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相沢祐一、水瀬名雪、水瀬秋子、沢渡真琴の四人は、揃って階段を(約一名、滑り落ちたものもいたが)降りた。それから祐一、名雪、真琴の三人はダイニングのテーブルに座り、秋子は昼食をよそうために台所へと向かった。
台所の方からは、出汁の沸騰する音と、良い匂いが漂って来る。ちなみに昼食は蕎麦である。つまり、引越し蕎麦というわけだ。しかし、何故引越しの時には蕎麦をすするのだろうか。
それは大晦日の晩に、年越し蕎麦と称して蕎麦を食べるのと同じくらい、由来を掴むことは難しいと祐一は思う。ただわかるのは、日本人が蕎麦好きだという事実だけだ。ならインド人は、引越しカレーを食べたりするのだろうか……なんて、下らないことをふと考えてしまった。
向かい側を見ると、沢渡真琴がお尻をしきりに擦っていた。やはり、ぶつけた所が痛むのだろう。時々、あうーっ、とか独特の声を発しているのが、妙に微笑ましい。
しばらくすると、秋子が丼に四人分の蕎麦を持って来た。ちなみにこの蕎麦は、麺も汁も自家製らしい。しかも単なる素人の物好きというレベルを遥かに超えている。一見、物腰の柔らかい普通の母親といった感じだが、家事も仕事も(もっとも、祐一は秋子がどんな仕事をしているのかは知らないが)ほぼ完璧にこなす。
しかも凄いのは、それを殆ど苦痛に思っていないところだ。自分が例え五人いても、秋子さんほど役に立てるのかといえばそれは疑わしい。つまり、秋子さんがいれば五人力ということになる。言い換えれば、効率が良いとか、燃費が良いとも言える。
「お代わりもちゃんとありますからね」
秋子さんが、頬を手に当てるという独特のポーズを取りながら言う。祐一は割り箸を(既に祐一の箸は、引越し荷物の中に収まっていた)割る。真ん中からきちんと割れなければ、なんとなく損した気分になるのは自分だけだろうか……そう祐一は思っている。しかし、口に出して言ったことはない。
うまく真っ二つに割れた箸を握り直すと、麺を口に運ぶ。蕎麦粉独特の味は残しながら、適度なコシがある。蕎麦粉と饂飩粉のバランスが重要だと、以前料理番組で言っていたことを思い出す。
次に蕎麦汁を、椀から直接啜る。塩味が適度に効いていて、微かに甘味がある。それも直接的ではなく、間接的な柔らかい旨み。添えられた蒲鉾や小松菜のような付け副えも美味しい。
祐一は結局、矢継ぎ早に二杯もお代わりした。鍋一杯だった蕎麦も、底に汁が微かに残っているだけだ。今更ながら、この家にいるとどんどん太って来るような気がする。祐一は、身体測定の時以外に体重計に乗ったことが無いのでよくはわからないが、確実に二、三キロは増えているだろうと推測していた。
しかし……祐一は斜向かいの名雪の様子を見る。秋子の料理を幼少の頃から食している名雪だが、太っている様子はない。むしろ、体型は理想的に近いと言っていいだろう。元々少食なのか、或いは陸上部の活動でカロリーが全て発散されるのか……。
(俺も、少し運動をした方がいいのかな)
名雪を見て、祐一はそう思った。
それからしばらく、食後のお茶を啜りながらトラックがやって来るのを待っていた。トラックは秋子さんが、知り合いの伝手を頼り、運転手と共に調達してくれたらしい。その運転手はS大学(佐祐理と舞も同じ大学に通っている)の、大学五年生だ。大学五年生というのは修士一年ではなく、一年留年していると意味らしい。
つまり今年が卒論なのだが、それはこの事件とは関係が無い。
そのトラックがやって来たのは、十二時半を少し過ぎた頃だった。クラクションを短く二度鳴らす音が、玄関の方から聞こえて来る。ぞんざいな呼び出し方だな、そう漠然に思った。或いは、あれが普通なのか……。
玄関に出て見ると、所々に汚れが付いた白の小型トラックが停車していた。
「すいません、こちらは水瀬さん……で宜しいんですかね」
運転手は運転席に腰掛けたままで、祐一に尋ねて来た。
「ええ、そうですが……」
祐一が答えると、運転手はトラックの背が丁度玄関先に来るようにバックした。それから祐一、名雪、真琴の三人で荷物を全てトラックに乗せる。ついでに祐一は、トラックの後部席に乗り込んだ。
「さっ、名雪も真琴も乗ってくれ」 祐一は当然の如く、二人に向かって言った。
「えっ、えっ、なんで乗らないといけないの?」
名雪が疑問一杯の口調で尋ねて来る。
「イチゴサンデーを三杯も奢るんだからな、正当な権利だ」
「……もしかして、あれは荷物運びの仕事も込みで、ってことなの?」
名雪が困惑した口調と表情とで、祐一の様子を見た。
「勿論だ……こら真琴、報酬を受け取って逃げるとは良くないぞ」
祐一はさりげなく逃げようとしていた真琴の襟首を掴む。
「真琴、まだ報酬受け取ってないよぅ」
円滑にことを運ぶために、祐一は真琴の襟首を持ってトラックの荷台へと押し込んだ。その後を、名雪も渋々付いてくる。
「じゃあ秋子さん……」
そこまで言って、祐一はふと淀む。その続きの言葉が、的確な言葉が思い浮かばなかったからだ。
「祐一さん、いってらっしゃい」
秋子は笑顔でそう言った。いってらっしゃい……そう、今生の別れになるわけではないからな、と祐一は思った。だから、
「いってきます」
祐一もごく自然に、秋子にそう言葉を返した。そしてダンボール箱と人間を三人乗せたトラックは、次の目的地に向けて走り出す。目指すは川澄舞のいるアパート。
「あうーーっ、真琴降りるーーーーっ」
蜃気楼のような幻が、祐一の耳をかすめた。この世の不確定さに比べれば、全ては蜃気楼に過ぎない。
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川澄舞は、愛用の腕時計を見る。中心に可愛い豚(少なくとも、舞はそう思っている)の絵がプリントされた時計は、一時三分を指していた。ここに到着するのが一時過ぎだから、そろそろだなと舞は思う。
既に荷物はアパートの入口まで運んでおり、あとはトラックがやって来るのを待つのみだ。本当に、何もすることがない。
「舞、部屋に入ってお茶でも飲まない?」
先程、パート先から戻って来た母が、こちらに向かって手招きをする。
「……ここで待ってる」
自分がここに立っていれば目印になると思い、さっきから身じろぎ一つせず立っている舞だった。すると母が、舞の隣へと立つ。透き通るような黒髪の中に白髪が少し混じり始めているが、少し痩せ気味な所を除けば、まだ充分に綺麗だと舞は思う。
「……母さん」 舞は、そうボソリと呟いた。もっとも、舞の声のトーンはこの程度が普通だ。
「ん、何かな?」 母は、覗き込むようにして舞を見た。
「……母さんは、私がいなくなることをどう思う?」
舞は僅かに俯くと、こう言葉を続けた。
「……邪魔者は、いなくなるから」
その言葉に、母は驚嘆の表情を見せた。
「邪魔者って……なんでそんなことを言うの?」
「……私がいるから、母さんは再婚できなかった」
舞がそう言うと、母は自分と向かい合った。そして、強い口調でこう言う。
「あれは違うのよ。丁度、舞がここを出るって話と、偶然に重なっただけだから」
そこまで言うと、母は強い目で舞を見やった。
「それに、私は舞が邪魔者だって思ったことは一度もない……これだけは神に誓って言えるわ」
それは、ちょっと大袈裟だな……舞はそう思った。
「……ガラスが割れた時、母さんも怒られた。それに、他にも沢山迷惑をかけた」
「それでもよ」
母はきっぱりとそう言った。と思うと、今度は妙に寂しげな顔になる。
「舞、私の再婚のこと、反対?」
そして、表情と同等の声でそんなことを言う。
「……そんなことない」
舞は、母の紹介で何度かその相手を見ている。少し腹が出ているが、温和で優しい人だった。それに責任感の強い人だと言うことも、何となくわかる。ちなみに職業は、インテリアデザイナらしい。インテリアデザイナという仕事がどういうものか、舞は知らないけれど。
舞にとって大事なのは、母を幸せにしてくれる人かどうかだけだ。
「でも舞、何も言わないで黙ったままだったし……」
「……いきなり再婚するなんて言われたら、誰だって驚く」
舞の言葉に、母はあらまあとばかり、手を口に持っていく。
「言われてみれば、そうかもしれないわね」
そして、可笑しそうに笑う。いや実際、可笑しいのだろう。けど舞には、何故母がそんなに可笑しがっているのか、よくわからなかった。
「うん、そうね。そうそう、私だって驚くものね。いけないわ私、舞い上がっていてこんなことも忘れてしまうなんて……それで舞は、私の再婚のこと、どう思っているの?」
母は、何故かさっきと同じことを再び質問して来た。勿論、舞の答えは決まっている。
「……だから、構わない」
「あっ、そうよね、あははは……」
やはり、今日の母は何かおかしいと思った。
妙な沈黙が生まれる……丁度その時、白いトラックがこちらに走り込んでいた。荷台には見たことのある顔が、三つ。相沢祐一、水瀬名雪、沢渡真琴の三人だ。
「ご苦労様です」
母はやって来たトラックの運転手に向かって、丁寧に頭を下げた。
「おっ、舞は待っていてくれたのか?」
舞は無言で頷いた。祐一はそれから、ダンボール箱の方に目をやる。
「舞、荷物はこれだけでいいのか? もうちょっとくらいは持っていっても大丈夫だと思うけど」
「……これで全部だから」
やはり、これくらいの荷物では、引越しの時には少ないようだ……そう、舞は思った。それから祐一と一緒に荷物をトラックに載せると、祐一は再び後ろの座席に乗り込む。
「これで、しばらくお別れね」
「……そんなことない」
三人で住むマンションもここも、同じ町の中だ。だから、いつでも会いに行ける……その筈だ、と舞は思う。いや、思っていた。
「……多分」 だから、そう一言付け加えた。
「何かあったら、すぐに戻って来てもいいんですからね」
まるで、嫁を見送る両親のような言い方……でも、心配しているのだろう、母は。
「……良かった」 舞は、色々な意味を込めてそう言った。
「えっ、何が?」
「……色々。でも、母さんの気持ちが分かったのは嬉しかった」
そう言うと、舞は後部の荷台に乗り込んだ。このまま向きあっていても、お互いに名残惜しくなるだけだから……そう思ったから。
けど、トラックが見えなくなるまで手を振る母を、舞はその姿が見えなくなるまで目で追っていた。そしてその姿が、壁に遮られて見えなくなる。
嬉しいこと少し、寂しいこと少し、不安なこと少し、わからないことは沢山で、でも妙に昂揚した気分になる。旅立ちというのはこういう気持ちなんだな、と舞は思った。
「さっ、後は佐祐理さんの家だな」
祐一は舞の姿を見て、明るくそう話しかけて来た。それは多分、自分のことを励まそうとしているからだと思う。相沢祐一とはそういう人物なのだから。だから舞も、
「……うん」 と、なるべく明るく答えた。
「やっぱり、舞は無愛想だよな」
けど祐一は、そんなことを言った。
「……二人は手伝いなの?」
それから舞は、後ろで顔を顰めている真琴と、荷台の背にもたれかかって眠たそうな名雪に声をかけた。
「そうだぞ。俺が高い金を出して雇ったからな。じゃんじゃんこき使っていいぞ」
祐一が胸を叩きながら言うと、
「だから、真琴はやるって言ってない……」
そう真琴が反論した。そして一方の名雪はといえば……
「くー」
気持ち良さそうに寝ていた。
−9−
相沢祐一、川澄舞、水瀬名雪、沢渡真琴の四人を乗せたトラックが倉田佐祐理の家の前まで来たのは、一時四十分過ぎだった。
使用人の一人がそのことを報せに来てくれたので、佐祐理は一直線に玄関へと向かった。両開きの扉には、ノックに使うブロンズのライオンが備え付けられている。もっとも、入口である正門の開閉が自動制御であるこの家には、そんなものは必要ない。単なる飾りの一つだ。
そこで待つこと数分、四人が玄関までやって来た。水瀬名雪、沢渡真琴の二人は、きょろきょろと辺りを見回している。初めて来る家だから(付け加えれば、無駄に広い家だから)落ち付かないのだろう。そう佐祐理は判断した。
「よっ、佐祐理さん」 相沢祐一が、右手を軽く上げて挨拶する。
「……おじゃまします」 続いて舞。
「おじゃまするんだお〜」 少し眠たげな声は、名雪のものだ。
「あっ、はっ、初めまして」
真琴は未だに緊張しているのか、挨拶がぎこちない。
「初めてじゃありませんよ、真琴」 佐祐理は笑顔で話しかける。
「あっ、そうだね、はははは……」 乾いた笑い声をあげる真琴。
「おい真琴、いくら珍しいからって、そこら辺のもん触りまくるなよ。壊したりしたら、一生かかっても弁償できないからな」
「そんなこと、わかってるわよ」
祐一の言葉に、途端に虚勢を張る真琴。二人は端から見ていると、とっても仲の良い兄妹に見える。見えるということは、実際にはそうではない。祐一曰く、真琴は記憶喪失らしく、今もその記憶は戻っていないとのことだ。
水瀬家にいる時の真琴は天真爛漫だが、記憶がないことが不安なのだろうか……時折、ふっと寂しそうな表情を浮かべていたのを、佐祐理は二度ほど見かけたことがあった。やはり、どんな記憶でも、そのピースが足りないことは不安なのだろう。
「で、荷詰めはもう終わってるのか?」
「ええ、終わってます。けど、結構沢山ありますよ」
結局、累計にして十二個のダンボール箱。一人では、持ち出すのもしんどい量だ。
「大丈夫だって。そのために、この二人を雇ったんだからな」
そう言われて、佐祐理は二人の方を見た。
「はあ……雇ったんですか?」
女の子には、ちょっと厳しい仕事だけど……佐祐理はそう思う。
「イチゴサンデー三つと肉まん五個、合計二千九百八十円(注1)だ」
どのような内訳なのかな……佐祐理は頭の中ですぐに計算した。
「うーーーっ、真琴やるって言ってない」
その後ろでは、真琴が祐一の方を睨んでいた。勿論、佐祐理から見れば微笑ましい光景の一つに過ぎない。でも、重労働で肉まん五つは、ちょっと可哀相だな……と思う。
「心配しなくていいですよ。バイト代はちゃんと払いますから」
佐祐理がそう言うと、真琴の顔がくるっとこちらを向いた。
「本当? 佐祐理さん」
「ええ、本当ですよ。真琴と、それから名雪さんと」
その言葉に、名雪は途端に目を覚ました。そして慌て気味に手を振る。
「あっ、わたしはいいです」
別にそんな気持ちはない……名雪の態度はそういったものだった。
「でも、大変な仕事ですから」
「うーん……でも、わたしはイチゴサンデーがあれば十分だから」
名雪は心底幸せそうな口調で言う。余程イチゴサンデーが好きなのかな……そう言えば食卓でも、朝はイチゴジャムをパンにたっぷり塗っていたことを思い出す。きっとイチゴが好きなのだろう……そう佐祐理は考えた。
「まあ、その辺の話は後にして、とっとと運んでしまおう」
祐一がそう締め括り、取りあえずは荷物をトラックに運び込むことにする。佐祐理が先頭に立って部屋まで案内し、隣に祐一、その後ろに舞、名雪、真琴の三人が続いた。
その祐一が、佐祐理にそっと話しかけた。
「いいのか佐祐理さん、あんなこと言って」
「ええ。肉まん五個で働いてもらうのは、流石に可哀相ですから」
佐祐理がそう言うと、祐一はきまずそうに頬を掻いた。
「まっ、確かにそれも可哀相だよな」
祐一が、後ろの真琴を盗み見ながら言う。
「じゃあ、その分は俺が払っとくから」
そんなことを言う祐一。佐祐理はそんなことをされたら悪い……そう言おうとしたが、その前に祐一は財布を取り出すと、
「じゃあ真琴、前払いだからきりきり働くんだぞ」
そして真琴にお金を手渡した。千円札が二枚だ。
「あ、ありがと……」
真琴がそれを照れくさそうに受け取ると、
「馬鹿、あげたんじゃない。そのお金の分、きっちり働くんだぞ」
そう祐一は釘を刺した。それから、何もなかったように歩き出す。でもその行為は、自分に気を使ってのことなのだということを、少なくとも佐祐理は気付いていた。
それからの作業は、滞ることなく進んだ。真琴と名雪で一箱、舞と佐祐理で一箱、祐一一人で一箱、合計で四往復。ちなみに、使用人の人が何人か手伝おうと申し出てくれたが、それらは丁重に断った。こういう作業に慣れてないせいか、佐祐理は少しだけ呼吸の速度が速くなっていた。
それが四月にしては温かい陽気と相俟って、少し暑いくらいだ。そんな思いに合わせるように、涼しげな風が駆け抜ける。
「じゃあ、佐祐理はちょっと挨拶してきますね」
「おう、日が暮れるまでには戻って来るんだぞ」
祐一の冗談に見送られて、再び家の中へ。石畳の道を、ゆっくりと進む。庭には丁寧に駆られた木々が、規則正しく並ぶ庭先。そこは、野外パーティの会場としてよく使われていた。まだ家族が四人だった頃、時々バーベキューをやったりもした場所だ……。
そんなことを考えながら、入口のドアをくぐる。それから父の書斎へ。
「じゃあ私は、書斎で本でも読んでいるから」
咳払いをしながら、わざとらしく言った父。つまり、出る前にそこへ挨拶に来いということだ。素直に見送りに来ない……そんな所が父らしいな、そう思うと、自然に笑みが漏れる。
一階の奥の方に、父の書斎がある。舞が前に、この部屋の椅子で眠っていたことがある。あの時は、父もひどく驚いていた。
ドアを二度ノックして、ノブを手に取る。勿論、鍵は開いていた。日が微かに入る、古書の匂いが漂う書斎で、父はドアを背にして、つまり後ろを向いて座っていた。
広い椅子に悠然と腰掛ける父。しかしドアを開ける音がしても、こちらを振り向こうとはしなかった。
「お父さん、佐祐理が来ました」
「ああ」 佐祐理の言葉に空返事を返す。
「これで、しばらくお別れですね」
「ああ」 再び空返事。
「……では、佐祐理はもう行きますよ」
「ああ」 三度、父は空返事を返す。
佐祐理は溜息を付いて、ドアを閉めた。父が何を考えているのかはよくわかる。きっと、涙を流している所を娘にといえど、見せたくないのだろう。そういう変なプライドが、父にはある。人に弱みを見せない、そういう所は自分と似ているかもしれない。
けど、旅立ちの日にまでこれでは少し寂しいと、佐祐理は思った。だから……
「なっ、佐祐理……」
佐祐理は閉めた筈のドアを、再び開け放った。そこには正面を向いて、僅かに涙を滲ませている父の姿が見える。佐祐理はその姿を目に焼き付けると、こう言った。
「では、今度こそ行って来ます」
「……ああ」 父の受け答えは変わらなかったけど、そこには形容し難い感情が混じっていることが、佐祐理には何となくわかった。そして再びドアは閉じられる。
しかし、今度こそは悔いなく次の方向に向けて進むことが出来る……そんなことを思う佐祐理だった。
(注1)……イチゴサンデーが一個八八〇円、肉まんが一個八八円。消費税は抜きです。