沖縄旅行へ行ってきました(二日目)

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 さて翌日です。

 鼾に悩まされましたが六時間は眠れたので問題はありません。今日は午前中に体験ダイビングをするので朝飯も適度に取り、万全の体調に仕上がりました。天気は少し雲がかかっているものの、それで逆に過ごしやすい陽気となりました。

 ホテルの前で体験ダイビングの案内人の方がバンで迎えにきてくれたので、搭乗します。南国でインストラクタを勤めているだけあって正に小麦のような色の肌、精悍で気さくそうな方です。話も上手く振ってきて緊張がほろほろとほどけました。

 目的地である港に着くとゴーグル、ダイビングスーツを選んで装着します。このスーツがぴちぴちで非常にきつく、夏の陽気もあってかかなりきつい。エヴァのプラグスーツみたく着込んでから体にフィットするようなスーツができれば楽になるのだろうなと思いながら四苦八苦して着込みます。父と妹も着込んだところで(母は不参加でした)インストラクタの方から最低限のレクチャを受け、それから出航です。

 小型船は揺れが大きくて酔いも酷いという話を聞いていましたが、確かに強烈な縦揺れが来ましたけれど、酔うことはありませんでした。操縦席の隣に座らせてもらえたのですが、海の色は深く青いと思いきや、太陽の光を反射して全体的に白く、空も結構曇っていたのでどちらかというと白い船旅でありました。併走するツバメ(だったと思う)の飛ぶ姿は力強く、鼻をくすぐる潮の匂いに「海は良い!」と感じることしきりでした。もう一人のインストラクタである壮年の男性が船を堂々と操る姿もまた、海でした。

 船は三十分ほどで目的地に着きました。まずは海面の感触を確かめるのと、呼吸の練習としてシュノーケリングです。スーツを完全に着込み、ますますきつくなる体に、足はゴム製のヒレ。ただ歩くことすらも難しく、丘に上がった魚とはこんな気持ちなのだろうかと考えながら着水です。相当の冷たさを覚悟していたのですが、身を浸けてもまるでへっちゃらでした。南国の海は暖かいのです。瀬戸内海も温暖な気候ではありますけれど、準備運動しなければ容易に手足がつるくらいには寒い海でしたので、これには非常に驚きました。

 シュノーケリングで海を覗くと、鮮やかな色の魚たちが手を伸ばせば届くくらいの距離で泳いでいます。先に渡されていたデジタルカメラでぱちぱち撮りますが、度つきのゴーグルは私のきつい近視に完全には適応していなかったため、きちんと撮れているかは極めて怪しい気がします。生憎ネガとなるSDカードは両親が持っているため、私はまだ確認していません。電子機器に疎いので下手すると一生現像されないかも……今度実家帰ったとき、手配することにしましょう。

 さて、海の感覚もつかんだところで本番です。耳抜きのやり方を再度確認したのち、今度は高濃度酸素ボンベを背負ってのダイビングです。完全に口呼吸となるのですが、これがなかなかきつい。おっかなびっくり吸ってしまうためかすぐに息苦しくなってしまい、これ深くまで潜れるのかなと心配になります。それでもしばらくシュコーシュコーしているとようやく慣れてきました。運動に関しては適応係数が低いのはダイビングにも適用されるようです。

 ダイビングは一インストラクタにつき二人であり、まずは私と妹が潜ります。浮力用の空気を抜くと体はどんどん沈み……なかなか上手く沈まず、お尻から浮きそうになってなかなか足が下にできません。私はきっと某小説のバトルスクールに入っていたら速攻で落ちこぼれていたことでしょう。敵のゲートは下だと言われても足が下に向けられないのですから……。

 閑話休題。それでも体をくねくねさせながら、インストラクタへのサインを何とか保ちながら、耳抜きも頻繁にして何とか潜っていきます。ようやく体勢も整いだし、周りを見る余裕が出てくると、深く透明度の高い海を泳ぐ魚の群れ、足下にはイソギンチャクやなまこ、ウミウシらしきものが派手な色合いとともにふよふよと貼りついています。話には聞いていましたが、予想以上に流麗な光景です。

 海の色は段々と青が深くなり、水温も心なしか冷たくなっていきます。塩辛い水を僅かに含んだのと濃い空気の影響か喉がからからになり、唾を飲み込む耳抜きができません。鼻を押さえての耳抜きさえ喉がからからだと難しく、それでも多少は慣れていたのか海にできた溝の深さに少しだけ怖いものを感じながらも、最後は十メートルくらいの所まで潜ったところで浮上しました。時間は計っていないのですが、三十分くらいのダイビングであったと思います。

 船上に登ると、交代で父の出番です。なかなか沈まなくて重りを倍プッシュしてようやく潜っていくのを見たときは不安だったのですが、それからは特に戸惑うことなく潜っていきました。私はしばらくその様子を眺めていたのですが、急激に気分が悪くなってきました。インストラクタの方によると、圧縮酸素を短時間に大量に吸った影響と、水圧で胃腸が縮み、地上に出て膨らんだためであること。何とか堪えていたのですが、停泊している船の微妙な横揺れにもあおられてしまい、父が浮上してきた頃には限界に近付いていました。

 同乗していた母も、私と一緒に潜った妹もぐったりしています。父だけがやけに元気で、八つ当たりに近いとはわかっているのですが、少しだけいらっとしました。

 それが良くなかったのか、猛烈に吐き気が来ました。いざというときは海に吐いても良いと言われていたので、許可を得て朝ご飯を海の藻屑としました。魚の餌になるとの話は前もって聞いていたのですが、魚がわらわらと寄ってきて、なんだか申し訳ない気持ちになりました。

 吐いて多少は楽になったものの辛さは取れず、帰りはひたすらグロッキーでした。午後はリゾートビーチにあるホテルに泊まる予定であり、泳ごうかなと考えていたのですが、無理だと悟りました。慣れれば大丈夫なのでしょうが、初めての私は海の洗礼に直撃されたのです。

 港に戻り、陸に足をつけ、その揺らぎなさに安堵。そのまま今日のホテルに向かいます。最上階の眺め良い部屋であり、ギャングの偉い人ごっこでもできたらなと考えていましたがそんな余裕はありません。チェックインするとすぐ、潮を洗い流して布団にダイブしました。

 少しうとうとすると気持ちが楽になったので、着替えや荷物などを改めて確認したのですが、ここで重大なことに気付きました。

 ポメラがない。

 どんなに荷物をひっくり返してもありません。機上などで少し書き物が出来たら良いなと持ってきていたのですが、見当たりません。船酔いしたときとは別の意味で顔を青くしながら、ホテルに連絡をし、果報を待ちます。なんかまた辛くなったので横になってうとうと。しばらくすると電話がかかってきたので慌てて取り、電話の向こう側の声が割と明るかったのでもしかしたらと期待したのですが。

 ホテルの中にポメラはありませんでした。ありませんでした。ありませんでした……。

 がくりとしたまま横になっているといつの間にか意識を失っていたようで、気付いたら日差しが赤くなっていました。狭間の色に染まる景色は非常に美麗で、息を飲みながら眺めることしばし、取りあえず失せもののことは忘れることにしました。文章のバックアップは取っていましたし、数十キロバイトがなくなるだけのことだと言い聞かせました。

 夕食はイタリア料理のバイキングでしたが、肉料理の一部などはシェフに頼んで焼いてもらうという気合いの入った形式で、味もすこぶるつき。窓から見える夕焼けが雰囲気をあおり、幸いにして取り戻された食欲に従い、人間発電機のように頂きました。その後妹と共に夜の海岸沿いを歩いたのですが、潮の香りが強いこと。当たり前のことなのですが、地元の磯でもここまでの潮は感じられませんでした。沖縄という土地のせいなのか、まとわりつく湿気のせいなのか。

夕焼け、きれい?

 母と妹はマッサージを受けるとのことなので一度それぞれの部屋に戻り、私は丁度再放送されているテンペストを観ました。

 ドラゴン脱ぎwwww(白目

 閑話休題。その後妹と合流して土産物をそろりと物色し、またぞろダイビングの疲れがやってきたので今日も早めに眠ることにしました。休んでばかりと言われそうですが、旅行とはそういうものでもあると割り切りました。誰も僕を責めることはできない。

 父の鼾は今日も激しく、私は始め綺麗な沖縄の海を、次になくしたポメラを思いました。見つかったらかけますといった電話はかかってきません。というか父の鼾のリズムが怖い。時々無呼吸になる。これ睡眠時無呼吸症候群ってやつじゃないのか? 明日起きたら伝える必要があるんじゃないか。大丈夫なのか?

 心配過ぎて、眠るのに二時間くらいかかりました。

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