一人称問題

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他の方がどうだかは分かりませんが、仮面の男さんは生まれてこのかた、一人称を何度も変更してきました。

幼稚園の頃までは覚えていないのですが、小学校の頃は『ぼく』を使っていました。僕と同義なのですが、幼さを強調するという子供の一人称ということで『ぼく』と記述します。

そのせいではありませんが、仮面の男さんは小学校の頃、割と居たたまれない体験をしました。そのため、一人称に力強さが欲しい――と思ったのかもしれません。実際そんなことは意識しなかったのですが、中学校になると『俺』を使い始めました。周りの男子が軒並み『俺』を使用し始めたため、倣ったというのもあるのでしょう。ただし教師の前では『僕』を使用しました。流石に『俺』では礼儀にもとると理解していたのだと思います。しかし仮面の男さんは粗忽者であり、教師の前で時々『俺』を使っては後に気付き、冷や汗たらりということが何度かありました。幸いなことに私は真面目で勤勉な生徒だと受け取られていたため、どうやらお咎めらしいものはありませんでした。本当かどうかは分かりません。密かに生意気な生徒だと評価されていたのかも知れませんが、最早真相をうかがい知ることはできません。

それはさておき、仮面の男さんは考えました。まだ学生だから多少の無礼は許される、しかし社会人になってから同じことをするとかなり致命的なのではないだろうか。粗忽な私に一人称の使い分けが完璧にこなせるわけがない。

そう結論した私は、大学入学を期に『私』へと一人称を統一しました。家族の前でも教師の前でも一律に『私』です。両親はその変わり様を、最初は何だか他人行儀であると受け止めていましたが、しかし大人の自覚を持ち始めたと考えたのか、暫くすると何も言わないようになりました。かくして仮面の男さんはそれから10年強、一人称に『私』を遣い続けているというわけです。

長くなりましたが、仮面の男さんは『ぼく』→『俺』(教師の前では『僕』)→『私』という風に一人称を変遷させました。一つの変化の前後において、仮面の男さんは相当の熟考を重ねました。大学に入ってしばらくの頃、仮面の男さん内で海外もの作品の大ブームが発生したのですが、つらつらがつがつと読み耽っていた頃、私はふと「英米人の一人称は一律、I、だから先の私の悩みなどとは無関係なのだろうな」と、無駄に羨ましがったことがあります。若き日の割と居たたまれない思い出です。

そして最近、私はふと疑問に思うようになりました。日本人とて、一人称をころころと変えるものなのだろうか?

私の知り合いには、プライヴェートで『俺』や『僕』を使っている人が少なからずおります。もしかして、日本男性は一人称を公私で使い分けるのが普通であり、面倒臭いから統一しようとは考えないのではないか。そんな疑問が根ざすようになりました。

そこのところ、どうなのでしょうかね? わたし、とても興味があります。

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コメント

  1. 湯善 より:

    はじめまして。花鳥諷詠で仮面の男さんを知った者です。
    いつも拝見しておりますが、ふと思うところがあり、今回コメントを残してみました。

    自分も最近、一人称を変えました。以前は頓着せずに『俺』を使っていたのですが、それを『僕』に改めたのです(ここでは敢えて『自分』としておきます)。というのも、このまま社会人(自分は今は院生です)になった時、果たして『俺』でいいのだろうかと思ったんですね。やはり『俺』では失礼ですから。

    だからといって、上司に対して『僕』と言い、取引先に『私』を名乗り、部下に対して『俺』と使い分けるのもどうかと思う。『上手に使い分ける人』と思われるかもしれない反面、『統一性のない人間』とみなされることもあるでしょうし。

    自分の周りにも、一人称を使い分ける人が大勢います。統一している人は本当に少数です。皆、深くは考えていないのだと思います。でも、こだわりを持つことは大切だと思う。一人称を統一している人の方がキャラクターが立っているのは明らかでしょう。

    自分が『僕』に統一したのは、キャラクターを際立たせるという打算的な側面もあります。が、一方でそのまま『僕』にこだわり続けたとして、いずれ老いたとき、しわくちゃの老人が『私』と言わずに『僕』と言ったら、それはとても素敵なことなんじゃないかなあ、とも思ったからです。心が若々しいジジイってカッコイイです。

    ちなみに自分の研究室の先生は、40歳代前半なのに『儂』を名乗っています。何がきっかけでいつからそうなったのか、気になって仕方ありません。

    以上、長文失礼しました。サイトの面汚しにならないとよいのですが……

  2. 仮面の男 より:

    こんばんは、こちらこそ初めまして。基本的にこの手の問いに答えが返ってくるのは、このサイトでは珍しいので、反応して頂けただけでも、とても嬉しいです。面汚しだなんてとんでもない!

    コメントのほう、興味深く拝見させて頂きました。確かに、一人称を変えるときは私もキャラについて少しばかり考えました。

    私の場合、慇懃でしかし存在感がある人間になりたいのという願望が当時強く『私』を選んだのはそのためもある気がします。僕とどちらにするかは多少迷った記憶も。

    僕を一人称とする老齢の人物については最近読んだ小説に、60歳でバンドマンの男性が出てきて、格好良さと存在感を出していました。だから思考の方向性については間違っていないと思います、うん。

    それにしても儂という一人称は凄いですね。研究室は言葉や服装にそれほど縛りがないにしても……その辺りを想像してみると面白いかもしれませんね。

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