『時計仕掛けのオレンジ』[アントニイ・バージェス/早川epi文庫]

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私は数年前、スタンリー・キューブリックが映画化した同名作品を観て痺れた口なのですが、原作は最終章が抜け落ちているという話を聞き、ずっとスルーしていたのでした。ネットで読めるという情報は得ていたのですが、何というか画竜点睛しているかもしれない書物を手に取る気にどうしてもならなかったのです。今回、最終章まで収録された完全版として発刊されたと聞き、重い腰を上げた次第なのでした。

原作者が不快感を抱いたという話を聞いていたので、映画とは違う内容を見越して読み始めたのですけれど、前半の軽妙洒脱でユーモアさえ感じられる無軌道な若々しさや超暴力の雰囲気は、ほぼ映画通り。相違と言えば映画があくまでスタイリッシュであったのに対し、原作は独特のスラングや泥臭さがあって、生々しい若者文化を強く感じさせる内容であったという点です。

主人公が投獄されてから、例の処置を受けて出所、その後の展開も映画の内容を逸脱することなく、そのラストが最終章の一つ前までと重なり合う展開。ではラストには何が書かれているのだろう、蛇足でしかないのではないか……そんな不安を覚えながら読み進めていくと。

原作版の最終章は主人公のアレックスが無軌道な生活に戻り、しかし不意に放埒の全てが馬鹿馬鹿しくなり、超暴力を捨ててまっとうな大人になることを決意する場面をもって締められています。

この十数ページのくだりを読み終え、私はどうして原作者が映画版を嫌悪しているのか理解できたのでした。

キューブリックの映画では『個を翻弄する管理社会、人間性そのものに対する悪意ある疑義』というものが根底のテーマにあったように思います。悪成す若者が人権によって強制的に人格を歪められ、そして同じ人権によって元に戻される。しかしそれらの圧迫にも強制されない純粋な悪意が、ラストの映像によって鮮明にされます。悪魔はどこまでいっても悪魔なのだという、悪意すら感じられる解釈がつきつけられるのです。

しかし原作版ではラストの一章で、若さゆえの無軌道ははしかと同様のものであり、彼らはいつかそれに気付き、当然のように大人になっていく――そんなメッセージが明確に示されます。若さとは未熟であり、しかしいつかは成熟できるという『希望』がある―― 個人レベルでも、社会レベルでも。紆余曲折を経ながら驚くほど健全で保守的な持論こそ、原作版『時計仕掛けのオレンジ』で示された結末です。

明らかに二つは真逆を向いていることが分かります。なるほど、発したメッセージをこうも百八十度歪められてしまっては、怒るのもむべなるかなと感じた所存です。

もちろん、だからといって映画が原作を歪めたけしからぬものというわけではありません。ほぼ同様のプロセスを踏み、しかし全く別々の結論を示し、どちらの解釈をもってしても、一人の少年の希有で奇妙な遍歴の物語として素晴らしいことに変わりはありませんでした。もっとも人によってはどちらかの結末を痛烈に忌避したいという願望を抱くかもしれませんが。

どちらにしろ、映画のみで作品を知っている方がいましたら、完全版の方も読んでみてみると良いんじゃないでしょうか。そうすることで、より深く『時計仕掛けのオレンジ』という作品を読み込めると思います。

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